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最近のゲームレジェンドについて思うこと

昨日(5/19)、川口フレンディアでゲームレジェンド30が開催されました。
私のサークルも新刊を引っ提げて参加し、期待値には届かなかったものの、初出しとしてはまずまずの売り上げを記録することができました。
イベントそのものも、相変わらず時間前に勝手に待機列を作っていたり、あれほど無断撮影してはいけないと言っているにも関わらず無断撮影をする人が出没したりしましたが、スタッフの良い対応のおかげで全体としては致命的なトラブルも起こらず、無事に閉会までこぎつけることができたといえるのではないでしょうか。
今回もコスプレにゲーム音楽の即興演奏、ゲーム実機の試遊展示など、今まで以上にゲームレジェンドらしさがあふれた回となり、恐らく一般来場者の数も相当に膨れ上がったと見ています。
そのため、もはやフレンディアでは限界という声が大きくなり、それを受けて次回は東京流通センターで開催されることになりました。私も参加するつもりですが、これが果たしてゲームレジェンドの運命をどのように転がしていくか、じっくり見守っていきたいと思います。

……と、ここまで書くと単なる感想のように見えますが、実はタイトルの通り、個人的に最近のゲームレジェンドには言いたいことが色々あります。
特に強く言いたいことは以下の2点です。

1.告知のタイミングが突然、あるいは遅すぎる
2.トラブルを想定した動きをしてほしい

1については、最近のゲームレジェンドは特にそうなのですが、参加申し込み開始の告知がないままなし崩し的に申し込みを受け付けていたかと思えば、何の前触れもなく申し込み早期終了ということが何度も発生しています。
イベントの参加申し込みと言えば、○月○日から×月×日まで(ただし予定数に達した場合は早期終了あり)というのが普通であり、たいていのイベントはそのように対応していると思うのですが、ゲームレジェンドの場合はまずそれができていません。
次回開催日が決まっているのであれば、そこから逆算して申し込み受付時期を割り出すことができるはずであり、本来は次回いついつ開催で申し込みはいついつから開始です、と告知するのが正道のはずです。
申し込み時期を明確にした上で、予定数に達した場合は早期終了もあります、という告知が事前になされていれば参加する側も早めに申し込もうというスケジュール感で動くことができるのです。
それがないまま、突然に申し込み終了と言われても、あんたらそんなこと一言も言っていなかったじゃん、と文句の一つも言いたくなります。
紙の申込書には書いてあるし、公式HPからダウンロードできるといっても、全員がそれに目を通すとは限りません。オンラインで申し込む方法を用意している以上、基本的にはオンライン上で(ダウンロードに頼らない手段で)そうした情報を参照できる手段を用意すべきです。
例えばテキレボでは公式ツイッターで参加申し込み状況を適宜公開し、直参はまだ受付中です、委託は予定数に達したため終了しました、というお知らせを流してくれるので参加する側としては非常に分かりやすいのです。
ゲームレジェンドもそのようにすれば、参加する側としてはそろそろ申し込んだ方がよさそうだという判断ができるのですが、現状それができていないのは、どうしてそういう情報を隠す必要があるのか、と何やら勘ぐった見方をしてしまいます。
告知という点で言えば、「申し込み終了しました。落選サークルはありません」と公式HPに明記したにも関わらず、それからサークルリストの公開まで2か月もかかっているというところも問題だと思います。
落選サークルがないということは、申し込みに不備がなければ基本的に当選していると当然誰もが考えるはずです。逆に言えば、その時点で当選サークルも確定しているはずで、何故その情報を早期に公開しないのか、あるいはできない事情があるのか、と思ってしまいます。
配置は後でもいいから、とりあえず当選したことだけでも分からないと、ただ「落選サークルはありません」と言われたところでうちのサークルはちゃんと申し込みが受理されたのだろうか、と逆に不安になってしまいます。
最初は申し込み順でサークルリストを公開し、その後配置を決め、その時点であいうえお順に直す、ということで問題ないはずです。こちらとしては当選したことさえ分かればそこに向けてスケジュールを逆算することができるのです。
その情報を2か月も隠す必要が、果たして本当にあるのか。隠さなければならない(あるいは公開できない)事情があったのか、という説明が何もない状態のまま2週間前にようやく公開されても、もし万が一申し込みに不備があって実は落選していましたとなった場合、せっかく作った新刊が宙に浮いてしまうということにもなりかねません。

2について、とにかく運営がトラブルを想定した動きをしなさすぎるというのが問題だと思っています。
特に参加案内書を開催の1週間前に送付するというのはどう考えても遅すぎます。ゲームレジェンドが今や全国規模のイベントに成長したという認識が全くないばかりか、郵便事故などで到着が遅れた場合にどうするのか、というところもあまりに行き当たりばったり過ぎます。
実際、私も前回のゲームレジェンドで参加案内書が期日までに届かないということがあり、結局サークル名が分かるものを持参して事なきを得ましたが、その後開催の翌日に参加案内書が届いたことを知り、それでは全く意味ないよと思わず地団駄を踏んでしまったことがありました。
申し込み状況を見れば、北海道から九州まで全国的に参加希望が集まっていることは分かるはずで、それをもとにならばこのように動こうという体制づくりが全くできていないと言わざるを得ません。
この辺についてはやはりコミケを参考にすべきだと考えています。コミケは申し込みを受理した時点でその旨のメールが届き、その後当落結果が速報として届けられる。当選した場合は後日参加案内書が郵送され、これをもって正式な当選とする、という流れが確立されています。
コミケはトラブルを想定してそうしたスケジュールを開催に対して余裕のある日程で行っています。大体2か月前に当落が決まれば、その時点で「当選しました。新刊出します」と告知することができ、地方勢も交通機関やホテルなどの確保に動くことができます。
だからといって全てをコミケ並みにやれとは言いませんし、ゲームレジェンド運営にコミケ並みの対応を求めるつもりもありませんが(あっちは規模が違いすぎます)、せっかくコミケというお手本があるのですから、少なくともそこがどういう動きをして毎回イベントを成立させているのか、というのは勉強すべきところだと思います。

私自身、ゲームレジェンドは2010年の秋の回から一般参加を続け、2017年の春の回からはサークルとして参加してきました。
いわば、一般とサークル両方の立場でゲームレジェンドを見ることができるわけで、その意味では最近のゲームレジェンドは運営がたるんでいるとしか思えません。
私は東京在住なので参加しようと思えばいつでも参加できるのですが、もし私が関東以外に住んでいた場合、1回は参加してみようと思いますが、その時に上に述べた対応をされてしまうと、同人誌の売れ行きに関わらず、次回以降の参加をためらってしまうでしょう。
正直な話、ゲームレジェンド運営、特に主催のZEDさんには危機感を持ってほしいのです。ゲームレジェンドは今、非常に危険な状態に置かれている。それは待機列の形成や無断撮影といった当日のトラブルよりもその前段階での対応の甘さに疑問を抱いているサークルが少なからず存在するという認識の上で、ゲームレジェンドをどのようにして良い方向に転がしていくか、というところを議論すべき段階にきていると思います。
レトロゲームを総合的に扱うイベントが大阪のゲームアンティーク、札幌のゲームトレジャーと徐々に増えてきてる中で、ゲームレジェンドはその牽引役として一体何ができて、どのように運営すべきなのか、ぜひ真剣に考えていただきたいです。
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HP開設10周年記念作品のあとがきに代えて

HP開設10周年記念作品の公開から2週間近くが経ちましたので、
この辺であとがきというか、ちょっとしたまとめ記事を書いてみたいと思います。

元々、記念作品を書こうという構想自体は、昨年の秋口ぐらいからずっと考えていました。
せっかく10年という節目を迎えるのだから、ここいらで久しぶりに新作を書いてみようかなと。

ただ、その段階では具体的にどういう作品にしようかというものは全く浮上していませんでした。
漠然と、新作を書きたいという気持ちだけが先行するばかりで、
アイディアが全く固まらないまま月日が過ぎていったのです。
そのうち、書きかけでストップしている2次創作のやつを適当に一つ書き直して、
それをUPして10周年記念作品として銘打てば、一応体裁は取れるかなとまで思ってしまいました。

それが、今のような形に変わったのは、ツイッターでのあるフォロワーさんとのやり取りがきっかけです。
その中で「あっ、このキャラすごい気に入った。これをモデルにしてなにかお話が書きたい」
という思いが沸き立つと同時に、いわゆる書きたいシーンが次々と頭の中で動き始めたのです。
そこで、どうせなら今書いている『ホーリーエムブレム』の外伝という形式でやれないかと考え、そこからプロットの構築作業が始まりました。

まず、当初浮上した書きたいシーンを何回も何回もアニメーションさせて第1プロットとして成立するまで繰り返します。
続いて、それらのシーンを繋ぎ合わせるためのイベントを考え、これを第2プロットとします。
そして、それらを最終的に物語として成立させるために1本の大きな「鎖」とします。
ここでも、イベントの順番や整合性の調整を行い、物語として不自然な流れにならないように注意します。
十分に繋がりが成立したところで、これを最終プロットとしていよいよ執筆が開始します。

ただ、実際のところはプロット作業には実質3日しかかかっていません。
書きたいシーンが一定数以上に膨れ上がった時点、正確には特にこのシーンを書きたいんだ、
というのが思い浮かんだ時点で、このお話は書く作業に突入することがすでに決定していたのです。
プロットを立てるのは、確かに物語の流れを最初に整理するという意味では必要なものですが、実際には執筆意欲を奮い立たせるという意味合いの方が強かったのです。

今回は、外伝という形式で書き進めていったわけですが、その時に特に意識した点は以下に挙げる通りになるかと思います。

【アニメの劇場版を思わせるようなストーリー展開】

アニメの劇場版と一口に言いましても、実際にはいろいろなスタイルがありますね。
例えば「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などのように、原作とは全く異なった世界観や舞台設定にキャラクターを送り込んで物語を展開させるもの。
あるいは「ワンピース」「BLEACH」などのように、基礎となる世界観は原作を一通り踏襲しながら、原作とは独立したオリジナルのストーリーを作り上げるもの。
今回はどちらかといえば後者の作り方に近いといえると思います。

ただ、実際に参考したのは「劇場版ドラゴンボールZ」なのですけどね。
あれは外伝といいますか、パラレルストーリーとして非常に上手な作り方をしているなと思います。
原作を知らなくても楽しめるけど、原作のこの設定を知っていると、ああ、なるほどと思わずニヤリとさせられる。
劇場版なのでストーリーとしては比較的シンプルなものではありますが、それでも原作やテレビ版にはなかった世界観の広がりが、劇場版によって展開されたよいお手本だと考えています。

何故、劇場版を意識した形になったかといえば、本作で想定している時間軸が、本編の第2章終了後から第3章の開始前だからです。
第2章の終了から第3章が開始されるまでには、すでに相当の時間が経過し、ルークたちもさらにいくつかの任務をこなしていたという隠し設定があります。
その、顕現されていない時間軸の中で起こった事件という位置付けに本作を置いている、というわけです。

ただ、すでに本編は第3章はおろか、第4章の佳境に突入していたため、本作のストーリーを本編に組み込むことはやや難しい部分がありました。
そこで、外伝+記念作品という2つの看板を掲げさせ、一種のパラレルワールドとして構築するという方策に出たわけです。
逆に言えば、そうすることで本編とはある程度切り離して物語を作ることできるので、自由度の高さという点においても有利に働きました。
本編では思うように組み込むことができない、いわゆる遊び心的なところも相当数詰め込むことができたので、書いていて非常に面白かったです。

また、今回は記念作品ということで、普段はなかなかできないことを特別企画としてやってみたいという思いもありました。
その1つが、本作のゲストヒロインである「ミーナ」のイメージボイス収録です。
これは、ネット上でボイス活動を続けておられます、白鷺風羽(しらさぎ ふう)さんにご協力を頂きました。
劇中で実際にミーナが喋っているセリフの中からいくつかをシチュエーションと併せて抜粋したのが、紹介している3点になります。
返ってきたボイスを聴いた瞬間、思わず背筋が震えたのを、今でも覚えています。なにしろ、まさに自分がイメージしていた通りのミーナの声だったからです。
特に「その3」がものすごい雰囲気が出ていて、ああ、間違いなくミーナだと、非常に感動しました。
あれ以来、ミーナのセリフを読み上げるたびにことごとくあの声で脳内再生されていくのが止まらなくなっています。

また、それとは別にミーナと、もう1人のゲストキャラである「ターニャ」のイメージイラストを、一二三屋さんにお願いいたしました。
ターニャの方は、時間の都合で後追いの公開となってしまいましたが、どちらも大変素晴らしいものなので、是非お楽しみ下さいませ。
個人的には、携帯電話(スマートフォン)の待ち受けにしたいぐらいですよ、本当に。
画像のサイズもちょうどいいぐらいなので、一画面に収めてフリックでループしない設定にすれば、はい、世界に一台だけのスマートフォンの出来上がり。(笑)
近く、スマートフォンに乗り換えることを検討しているので、多分真っ先に待ち受け画像の設定をしてしまうかも知れません。(コラ)

特別企画にご協力下さいましたご両名には、この場をお借りして改めて御礼申し上げます。

当HP『徒然なる世界』も、今年の9月末をもって、満10周年になります。
それを、こんな形で迎えることができたのは、自分にとっても望外の喜びですし、非常に思い出深い企画となりました。
これからも、さらに皆様を楽しませることのできる作品を目指して頑張ってまいりますので、今後とも、どうぞ応援よろしくお願いいたします。

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この世には「魔王」も「伝説の勇者」もいない

※今回の記事は、以前(FC2ブログ時代)に掲載したものの再掲(一部改変あり)になります。

今さら、こんなことを言うのもなんだかな、という気がしたのですが、
どうにも引っかかっているところがあったので、改めて言わせていただきます。

以前のブログ(といっても1年近く前の記事ですが)で、
東北電力の株主たちが同社に対し原発の廃止を提案したというニュース記事をお届けました。

その記事で率直に気になったことが一つあります。
それは、女川原発(東北電力の管轄です)が福島第一原発の二の舞にならなかったことを「偶然に過ぎない」の一言で片付けているということ。
福島第一の重大事故について仔細に検討する必要性を認めるならば、女川があのような事態に至らなかった理由についても検討する余地があったはずです。

福島第一と女川ではなにが同じでなにが違っていたのか。
その差異が、事故の規模の差にどの程度影響を及ぼしたのか。

その情報を収集し、比較検証した上での提案ならばまだよかったのですが、単に「偶然だ」と言って片付けてしまうのは非常に危険です。
それは、核を含めたエネルギーの安全利用に対する議論の可能性を狭めてしまうことにもなりかねないからです。

もう一つ、この手の議論で注意しなければならないことがあります
それは、なにかを絶対的な「悪」に仕立て上げ、それさえ無くなれば全て解決、みんなハッピーという単純な二元論に陥りやすいということ。

あの福島第一の事故を受けて、原発の是非に関する論争が盛んになること自体は、決して悪いことではありません。
ですが、果たして原発を廃止して、それで全てが終わるのか。
原発が無くなったからといって、この国が地震の恐怖から逃れられるわけではありません。
仮に、今回重大事故が発生したのが原発ではなく火力発電所だったとしたら。
膨大な量の高燃焼性燃料を扱う施設だけに、大火事や大爆発という、放射能汚染とは別のリスクが発生する危険性があります。
そうなった時に、では火力発電は危険だから止めろというのか。
あるいは、火力よりも効率が高く、安全性にも優れた最新式の原発にしておけば、あんな爆発事故は起こらなかったのにと。
結局、これもまた東京電力を非難する材料にしかなりません。

世の中というのは、なにが善でなにが悪かという、単純な二項対立で動いているものではありません。
そのことは、RPG(ロール・プレイング・ゲーム)における「魔王」の存在と対比させてみるとよく分かります。
特に、ドラゴンクエスト(以下ドラクエ)の比較的初期のシリーズをモデルにすると話が進みやすいです。

ドラクエにおいて、何故王様や人々が主人公である勇者に魔王討伐を依頼するのか。
それは以下の理由があるからです。

1.魔王の存在が、人々の心に恐怖を与え、精神的な安定感を乱している
2.魔王および魔王が率いる魔物の軍勢が、実際に人々や街を襲うことで物理的な実害を生じさせている
3.以上に付随する形で、人々の行動に制約が課せられ、経済活動や世界の発展に大きな障害となっている

すなわち、人々は魔王を自分たちだけではなく、世界にとっての「敵」であると認識し、魔王側もそう認識されるような行動を取っているわけです。
ロール・プレイングには、元々「役割を演じる」という意味合いがあります。
世界の発展を阻害する役割を与えられた魔王と、その魔王を倒す役割を与えられた勇者。
そうした、二項の対立的構図によって生み出されているのがゲームとしてのRPGであるといえます。

翻って、では原発は討伐されるべき「魔王」なのか。そして、原発廃止論は歓迎されるべき「勇者」なのか。

確かに放射能汚染というリスクを抱えているという点においては、人心の安寧を乱しているかも知れません。
ですが、原発が生み出す莫大かつ安定した電力供給によって、我々の生活が飛躍的に便利になったことも紛れもない事実です。
さらに、それによって経済活動の活発化を後押しし、結果として世界屈指の経済大国になったという歴史を、一体誰が否定できるというのでしょうか。
このようにして考えてみると、「原発=魔王」「原発廃止論=勇者」という、単純な図式は必ずしも真ではないことが結論として導かれることになります。

原発廃止論者の全員とは言いませんが、多くに欠落しているのは、こういった想像力に対するアプローチではないかと、自分は1年近く前からずっと考えています。
彼らは得てして原発を廃止することに関するビジョンについて具体的な事例を示唆しようとしません。
RPGならば、魔王を倒してハッピーエンドになりますから、それでもいいでしょう。
それは、魔王の恐怖に怯えるという「役割」を与えられていた世界の存在理由が、魔王がいなくなった時点で消滅したことを意味するものでもあるからです。
しかし、現実の社会はそうではありません。
例え原発が無くなろうと存続しようと、この世界の存在理由が消えてなくなることはないのです。

この世界は常に複雑な因果関係によって動いています。
例えば長引くデフレによって正規社員の縮小が起きる一方、派遣社員や契約社員、日雇い労働者といった人材派遣ビジネスが活況を呈する。
ある事物の変化が、めぐり巡って別の事物に影響を与える。そうして影響し、また影響されることによって経済は動き、人々の生活は成り立っているのです。
原発にしてもそれは同じです。続けることによる影響は今までどおりであるとして、では廃止した時に生じる影響はどれほどのものになるでしょうか。

不足する電力をどのようにまかなうのか。火力の比率を高めれば化石燃料の枯渇を促進する。
かといって太陽光や風力などの自然エネルギーでは安定性に欠ける。
関連事業で職を得ていた人たちは、原発が無くなれば間違いなく失業するでしょう。そうした人たちの生活対策はどうするのか。
「自業自得」だと切り捨てるのは簡単。ですが、そうして原発関連に近しい人物を陥れていくのは、さも原発廃止論を支持した自分たちこそ正しいという、一種の選民思想につながり得るものであり、これもまた別の意味で危険であると言わなければなりません。

存在し続ける世界に対して、我々はそれをどのような方向に導いていくのか。
原発の是非を含めた、これからの時代にふさわしいエネルギー利用のあり方をいかにすべきなのか。
そうした議論の具体性を伴わない原発廃止論は、ただの絵に描いた餅の域を出ることはありません。
一時(いっとき)の安寧と引き換えに、どれだけのものを失うことになるのか。それが、もし取り返しの付かない、それこそ日本の存続すら危うくするものになるとしたら。
そんなバッドエンド、誰も望んではいないでしょう?
でしたら、もう少し想像力を膨らませながら議論を深めていってもいいのではないでしょうか。

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なにかを「表現する」ということ

昨日のライブも、日曜日のそれと同様、非常にバラエティーに富んだ内容で面白かったです。

これもレポートは敢えて書きませんが、またまた思ったことを書いてみたいと思います。

自分は、両方のライブにおいて、最前列のステージ正面という、メチャクチャ特等席を確保することができました。
自分がこんないい席を取ってしまってよいものかと申し訳なく思ったりもしましたが、せっかくの機会なので最後まで観ていくことにしました。

その中で、やっぱりステージとかなり近い席だからなのでしょうね。
なんというか、出演者の方々の呼吸が感じられるような気がしました。
中には、演奏中に首筋や額などにものすごい量の汗をかいているのがはっきりと見えて、ああ、歌ったり演奏するのって、やっぱり相当に体力を使うのだなと、改めて実感しました。

でも、逆に言えば、汗をかくほどに本気でこのステージに立っているのだなということもヒシヒシと感じました。
であるからこそ、自分もこれは真剣な態度で観なければ失礼になる。終わった後に挨拶をすることはできなくても、途中で退席することは明らかに無礼に相当すると思いました。

音楽に限らず、なにかを「表現する」ということは、実は大変はパワーを必要とするものなのです。
見ている側は一見して平然とやっているなと思っていても、実際に作っている方はその影で人には明かさないほどの苦労と努力を重ねているのです。

それは、恐らく、少しでもいいものを作りたい、よい表現を生み出したいという思いの成せる業。
真剣だからこそ出せるパワーというものは確かに存在するのです。
そして、そのパワーはそれを受けた人の心に確かな「なにか」を残すのです。

それは時に「感動」であったり。
また時に「創作意欲」になったり。

人によって形は異なるでしょう。
だからこそ、人はなにかを表現するのを止めたりしないのだと思います。

何故なら、表現することを止めてしまったら、人はただ生きるだけの存在になってしまうから。
表現することによって人は生き、また生かされているのだと、自分は考えます。

そして、自分も物書きとして生き、そして生かされていることに感謝したいと思います。

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いいものを作るために大切なこと

昨日のライブはメッチャ密度の高い内容で、とても楽しかったです。

詳しいレポートは敢えて書きませんが、それとは別にちょっと思ったことを書いてみます。

いいものを作るためには、「作りたい」という意思や決意を強く持つことがまず第一に必要です。
その気持ちがなければ、まず作ろうという行動を起こすこともありませんし、仮に起こしたとしても、石が伴わなければ長続きもしないでしょう。

ですが、多分それだけでは足りないのです。
自分の引き出しから意思を搾り出すだけでは、いつか枯れてなくなってしまうでしょう。

自分は技術屋なので、その方面の用語的な説明をすると、
アウトプットを得るためには、なんらかのインプットが必要であり、
インプットがあるからこそ、アウトプットはその時の条件に応じて変化していくのです。

翻って、創作という観点で見た場合、いいものを作るという「アウトプット」を得るためには、
いい物に触れたり観たり聴いたりするという「インプット」が必要なのです。
他の方々の作品に接することでその良さを見出す、それ自体が創作意欲というアウトプットとなったり、
また自分の作品に対するアイディアにフィードバックする材料となって昇華していくのです。

「物書きさんはもっと小説を読むべき」
「絵描きさんはもっと絵を観るべき」
「音屋さんはもっと音楽を聴くべき」

という意見もたまに耳にしますが、自分はこうした分野にとらわれた考え方は、あまり好きではありません。

自分は確かに物書きですから、もっとたくさん小説を読んだ方がいいことは理解しています。
ですが、自分はイラストや音楽鑑賞も好きですし、そこから得られる作品のイメージは、実は少なからず自分の作品のアイディアに影響を与えているのです。
それは、自分が意識するとしないとに関わらず、実際に接触したものであるからこそ、自分の深層心理において確かな説得力を持って印象付けられているものなのです。

自分一人だけでは決して浮かばなかったであろうイメージが、他の方の作品によって補完され、確かな造形となって生まれ出す。
実際に、自分自身のこれまでの創作遍歴を振り返れば、自分自身の力だけで生み出したアイディアというのはほんの一握りしかありません。
大抵は、他の作品からの影響であったり、また他の作品を自分なりに噛み砕き、またオマージュ的な意味合いを持って盛り込むということの繰り返しなのです。

それが可能なのは、ひとえに無数のインプットをそれこそ貪欲に吸収してきたから。
だからこそ、そうした蓄積がアウトプットの源泉となり、それが作品という形となって現出する。

きっと、先達もそのようにして少しでもいいものを作り出そうと苦心してきたに違いありません。
無数のアイディアから、さらに無数のアイディアが生まれる。
創作とは、まさにアイディアという名の星が散りばめられた無限の宇宙である。
そんな風に思えて仕方がありません。

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プロフィール

ryudo0123

Author:ryudo0123
ここは『徒然なる世界』の管理人である私リュードの執務室となっております。
日常の雑感やいろいろ考えることなどを不定期に記して参ります。

『徒然なる世界』
http://www.h4.dion.ne.jp/~ryudo/

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